
IdentityJARDIN D'ACCLIMATATION
ジャルダン・ダクリマタシオンは、皇帝ナポレオン3世と皇后のウジェニーに由来しています。ロンドン滞在時に強い印象を受けたハイドパークから着想を得た二人は、ブローニュの森の外れにレジャーや娯楽を楽しめるパリ市民のための公園を造る夢を実現させたのです。この計画のために、皇帝は当時パリ改造事業を推進していたセーヌ県知事ジョルジュ-ウジェーヌ・オスマン男爵、技師ジャン-シャルル・アルファン、造園家ジャン-ピエール・バリエ-デシャン、建築家ガブリエル・ダヴィウを招集しました。彼らはこの20ヘクタールの公園にそれぞれの専門能力を結集して、首都を彩る美しい庭園としました。当初、ジャルダン・ダクリマタシオンには動物学協会が置かれ、世界中の動植物や遥か遠くの文明・文化に慣れ親しむことを目的としていました。現在、この 19 世紀のユニークな遺産、景観、建築物の積極的な保全が行われているジャルダン・ダクリマタシオンは、パリやその近郊に住む人々、世界中からの観光客に対し、パリらしく近代的で楽しいアミューズメントパークのほかに、400匹の動物や鳥が集うファームや鳥舎も提供しています。
ジャルダン・ダクリマタシオンのアイデンティティは、パリ市民の誰もが子供の頃に経験し、今では全体として心象風景となっている感情、情景、場所が一つに集まっていることです。それは、変わらない世界や新たな喜びを物語る、すべての家族が世代を超えて共有する遺産。永遠でありながら新しいパリの象徴です。
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マルク-アントワーヌ・ジャメ
ジャルダン・ダクリマタシオン会長
7000
万ユーロ ジャルダン・ダクリマタシオンの改修費用
42
メリーゴーランド&アトラクションの数(全年齢対象)
18
ヘクタール の芝地・草原・プロムナード
ジャルダン・ダクリマタシオンのマーケティングキャンペーン、アトラクション、アイデンティティを示すビジュアル
ジャルダン・ダクリマタシオンのマーケティングキャンペーン、アトラクション、アイデンティティを示すビジュアル
ICON
3分間のコース、400メートルの回転とカーブ、最高速度45kmを誇る5台のジェットコースター《スピード・ロケッツ》は、パークのメインアトラクションであり、松と杉の木の間を疾走するユニークなローラーコースターとして、スリルを求める観光客を楽しませています。

MUSES
スペイン出身の女伯爵ウジェニー・ド・モンティジョは27歳でフランス皇后となり、1870年にフランスがプロイセンに敗北するまで在位します。ウジェニーは、皇帝と共に力を合わせてジャルダン・ダクリマタシオンを造園した人物です。初代園長で、自然環境で動物を観察することを熱心に擁護した著名な動物学者のイジドール・ジョフロワ・サン-ティレールに導かれ、若い皇后は科学に情熱を傾けました。例えば皇后はフランスで蚕の飼育を発展させようとし、ジャルダン・ダクリマタシオンの中心に逸早く養蚕所を建てました。この建物は今も現存しており、中にはエレガントなカフェが入っています。文学と芸術を愛し、スタンダールやメリメに学んだウジェニーは、産業革命期のパリの変容において積極的な役割を果たしました。
